希死念慮が出てくるのは、人生が終わった・詰んだと思うから
僕は、自殺をしたいと思ったことがあります。
激しい躁状態で入院するくらいなので、それなりに経験した鬱も激しいものだったのだと思います。
病気のために希死念慮が出てくる面はあると思うのですが、認知の歪みというか考え方の思慮が浅いために希死念慮が出てきた面があったとも思っています。
現実を受け入れるのがキツイというか短絡的というか。
希死念慮とは何か
希死念慮とは、「死にたい」「死ねば楽になれる」とう自殺をすることについて考えることを言います。
そんな僕も自殺について考えたことがあります。
ドアのノブにタオルを巻いて、首をいれて自然と落ちるかななどと試したりしたこともあるので、軽い自殺企図も行なっていたのだと思います。
希死念慮が強かった時、僕の考え方は隔たっていた
希死念慮が強い時の僕は、今思うと考え方が隔たっていました。
ただ単に、大学を留年したという事実だけで、人生が終わった・人生が詰んだと考えていました。
また、大学の留年が危なかった頃は、進級しなけれが人生が終わってしまうと自分を追い込んでいました。
大学は、4年間で卒業するものだと考えていましたし、レールから外れて人生が終わったと考えていました。
ただ、今考えると大学を留年しても人生を好転させるチャンスはいくらでもあるし、実際、今この歳になると、その事実にもっと早く気づいていればよかったと思っています。
実際に人生は全く詰んでいなかった
大学を留年して、僕は大学を5年かけて卒業をしました。
その頃の僕は、大学を4年間で卒業できなかった事実で自信もなく、うつ状態で就職活動をするという現実に見舞われました。
そんな自信もなく、うつ状態の僕でも大した企業ではないですが、就職氷河期の中、東証一部の会社から内定をいただくことが出来ました。
その頃は、全然気づいていなかったのですが、全然人生は詰んでいなかったし、終わっていませんでした。
就職の内定をいただいても、そのことに気づかず鬱でした。
理想どうり行かなかっただけ
人生詰んだとか終わったって人は理想とされる人生から外れたってだけで人生そのものは終わってないよ
— wan (@wan54504642) 2017年7月10日
理想の人生そのものが幻影なんだから
今考えると、僕が鬱になった原因は、理想だと考えていた人生から、ちょっと外れただけだったと思っています。
ただ、長い人生全て自分の理想通り進むわけではないですし、いくらでも人生を好転させるチャンスはあると思います。
ほんの少し人生の理想から外れただけで、自殺を考えて鬱になるのって本当に勿体無いことだと思います。
人生が終わった・詰んだと思っている人は今日からその考え方を変えよう
今、双極性障害やうつ病や健常者の方でも、人生が終わった・詰んだと思っている人いると思います。
そんな人は、自分の認知が歪んでいる可能性があることに気づいて、今日からでも考え方を変えられるといいなと思います。
死が迎えにくるまで、何歳であっても人生は好転させることができる信じて生きていれば、幾分、希死念慮というものは、楽になるのではないかと思います。死ぬ間際になって、あの頃人生はまだ終わってなかったと気づいても勿体無いです。
僕は、大学卒業後もうつ状態に襲われることはあったのですが、希死念慮が出てこなかった理由は、人生が終わったと考えることが年齢を重ねるごとに薄まって来たことと、父親に逆縁にならなければなんでもいいと言われたことがあります。生きているだけでもいいんだと。
希死念慮がなくなればなくなるほど、人生や病気と戦ったり、楽しむ準備というものが出来るだと思います。
もし、人生が終わった・詰んだと思って希死念慮に襲われている人には、まだ、そんなことはないんだという事実に気づいて思えればと考えています。